商品名は、いらないのかもしれない
これは違うものなのか?!
フランスで胡椒の専門店に行った時のことです。全部同じなのかなと思っていたら、小さな文字で種類が違うことが書かれていました。紅茶の専門店でも同じでした。一見すると同じパッケージに見えるけ。けど、小さな文字で茶葉の違いが書いてある。おそらく日本人が作ったら、もっと違いが一目で分かるようにはっきりと打ち出すだろうな、と感じました。
そう思って見ていくと、自動車も同じかもしれません。メルセデス・ベンツなら「ベンツ」という大きな看板があって「Cクラス」「Sクラス」のようにモデルの違いがある。一方、日本は「トヨタ」というメーカー名よりも「カローラ」や「アルファード」といった車名のほうが前面に出ている。
ダイソンの掃除機やiPhoneも、ひとつのブランド名があって、そこに「iPhone16」のように数字が付く流れ。対して、日本は炊飯器の「炎舞炊き」のように技術的な特徴に由来するものや、「冷えピタ」「激落ちくん」のような使うシーンを連想させるネーミングなども含めて、商品名の多様性と数の多さは日本ならではかもしれません。
作り手が主体か、商品が主体か
西洋ではまず、ブランドやつくり手がベースとしてある。そして、それらが生み出す作品として商品があるように見えます。一方、日本は一つひとつの商品を主体としてとらえているように感じます。だから、それらに名前を与える。
山や川など自然物だけではなくて、日常の道具など含めてあらゆる場所に神が宿るという「八百万の神」の考え方などにも通じるものがある気もします。さらに、流通や生活習慣などにも要因はありそうなので、もっと深く考えていきたいと思います。
2026.09.28

