「みんなでやったほうがいい」と、山本さんは言った。

「今度、大阪の木桶職人のところに修行に行こうと思っているんですよ」

と、電話の向こうで、小豆島・ヤマロク醤油の山本康夫さんがそう言ったのは、2011年のこと。世間話のような電話の中で、「取材に行ってもいいですか」——そうお願いしたのが、始まりだったような気がします。

行先は藤井製桶所。当時、絶滅寸前だった木桶職人業界で、現役で活躍をされていました。とはいってもみなさん60歳オーバー。私は取材をするつもりで、ノートとカメラを持って現場に入りましたが、とにかく人手が足りない。「ちょっと手伝ってくれ」と言われ、……という流れです。翌年には小豆島で「自分たちで一本、木桶を作ってみよう」ということに。普段とはまったく異なる体の使い方。毎日、全身が筋肉痛。当時の写真を見返すと、まわりで見ているギャラリーも、ほんの数人でした。

立ち入らない、という暗黙の了解

醤油業界は、地域単位の組合はあるし、懇親会があればみんなでバカ騒ぎをする。とても仲良く過ごします。ただ、「お互いの製造現場に入ったことがあるか」と聞かれれば、それは決して、多くない——そんな世界でした。これは醤油に限った話ではなく、どの業界にも似た感覚があるのかもしれません。

だからこそ、山本さんが「次の世代に木桶仕込みを残すなら、自分たちだけでやるより、みんなで力を合わせたほうがいい」と言い始めたとき、当時の業界の常識からすると、なかなか考えられないことでした。

変わり者から始まる

ただ、面白いもので、中には「変わった人たち」がいます。そういう人が一人、二人と集まってくる。翌年にはさらに数人。その次の年も数人。そして、5~6年経って、それが30人を超えたあたりで、一気にたくさんの方が来てくれるようになった——そんな印象を持っています。

これは、醤油業界に限らないのかもしれません。大きな目標がひとつあって、そこにみんなでチャレンジしようとするとき、最初に集まるのは決まって「変わり者」で、それがある規模を超えると、そこから加速度的に人が増えていく。そして、若い世代がどんどん入ってきたことは、いま振り返ると、大きな転換点だった気がします。

そして、その若い世代を支える土壌があったことです。ふつうの業界団体だと、年配の方が幅を利かせて、若者が何か言おうとすると「若いもん…」とついつい口を出してしまう——そんな場面を、想像してしまいます。でも、醤油業界は商品の特性もあるのかもしれません。どこか控えめで、縁の下の力持ちのような気質があるからか、「若い人にこういうことをしてほしい」と言うと、お父さん世代が「どうぞどうぞ。どんどんやったらいい」と言ってくれる雰囲気がある。これは、大きな特徴だったように思います。

いまでは、このプロジェクトから派生する形で「木桶仕込み醤油輸出促進コンソーシアム」も立ち上がり、木桶の醤油を海外へ届ける動きが始まっています。その役割も、今ではすっかり若いメンバーに引き継がれました。ひとつの桶を囲んで始まったことが、気づけば海を越えようとしている。木桶を中心に、いまもいろんな動きが起きている——それが「木桶」という文化の、いちばん面白いところなのかもしれません。

2026.07.10

木桶を「みんなで残そう」と言い出した張本人の一本と、その舞台になった小豆島の桶をまとめて味わえるセットを。

43.鶴醤 100ml(ヤマロク醤油・¥648)
「木桶がなくなる」という危機感からプロジェクトを始めた、山本康夫さんの再仕込醤油。約二年熟成の生醤油に、もろみを足してさらに二年。四年かけた濃厚な一本です。冷奴やお刺身に、ほんの一滴で。
https://store.s-shoyu.com/products/sy043

醤の郷 小豆島の木桶醤油5本(職人醤油・¥3,132)
桶をひとつ囲んで始まった小豆島の、木桶仕込み醤油を集めた飲み比べセット。同じ島の桶から、蔵ごとにこれだけ味が変わるのか——と、並べて確かめられます。
https://store.s-shoyu.com/products/setshooshima5